臨床薬理の進歩 No.46
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PROFILE2009年 熊本大学薬学部卒業2011年 熊本大学大学院薬学教育部博士前期課程卒業2014年 熊本大学大学院薬学教育部博士後期課程卒業2014年 大分大学医学部附属病院薬剤部2016年 大分大学医学部附属病院薬剤部 薬剤主任2019年 大分大学医学部附属病院薬剤部 副薬剤部長はじめに渡米後についてシンシナティ小児病院医療センター留学報告(2022年4月~2024年3月)2020年 大分大学医学部附属病院薬剤部 准教授・副薬剤部長2022年 Cincinnati Children’s Medical Hospital Center客員研究員2024年 大分大学医学部附属病院薬剤部 准教授・副薬剤部長 私は2022年4月〜2024年3月までの約2年間、米国オハイオ州のシンシナティにあるCincinnati Children's Hospital Medical CenterTranslational and Clinical Pharmacologyに改名)部門に留学させていただきました。 私たちが渡米する時期は、日本ではまだマスク着用が義務付けられており、ワクチン証明やCOVID-19陰性証明を取得して渡米しましたが、米国到着後の街中ではマスク着用者を見つけるのが難しいくらい誰もマスクしておらず、対応の違いに非常に驚きました。さすがに病院内はマスク着用が義務付けられておりましたが、1年後には研究棟における着用も必要なくなり、段々とCOVID-19に対する意識も薄れていきました。 一方、COVID-19に代わって私たちの頭を悩ませたのは、米国の賃上げに伴う物価高と、それを原因とする円安ドル高でした。特に私たちは給料を所属施設から日本円でいただいていたため、為替レートを確認するのが日課となり、レートが下がったタイミングを見計らって2〜3ヵ月に田中 遼大Tanaka Ryota大分大学医学部附属病院 薬剤部(CCHMC)のClinical Pharmacology(途中から1回の頻度で外国送金をしておりました。そのため、臨床薬理研究振興財団のご支援なくては2年間の留学を完遂することは不可能であったと感じております。 大変貴重な経験をさせていただきましたことを厚く御礼申し上げますとともに、シンシナティでの生活やCCHMCでの研究内容についてご報告させていただきます。 私は妻と当時1歳8ヵ月の娘と一緒に留学させていただきましたが、私1人が先に米国へ渡って車やアパート等のセットアップを行い、妻には日本に残って両親に手伝ってもらいながら日本の家を引き払ってもらう戦略を取りました。 私が米国入りした際は、アパートがまだ決定していなかったため、ホテル暮らしが1週間ほど続きました。また、手配していた車が約束日より3日も遅れたうえ、ホテルの周りには何もなく、食事は日本から持ってきたパックご飯とインスタント味噌汁という生活が4日ほど続きました。アパートが決定した後も電気会社との契約後しか入居することができず、結局6日ほどホテル145

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