臨床薬理の進歩 No.42
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しているのが、腸管粘膜近傍に存在する「粘液層」である。 粘液層は水溶性粘液多糖からなり、腸管上皮に限らず生体が外界と接している粘膜表面上に形成される生体防御機構の一つであり、細菌、ウイルス、アレルゲンなどの数多くの生体外異物から生体を保護するための最前線の物理的バリアである3)。一方、薬物吸収過程において、粘液層は腸管上皮近傍において非攪拌水層と呼ばれる微小環境を形成し、薬物が上皮細胞表面に到達する手前の拡散障壁となることが古くから指摘されてきた4)。しかし、既存の報告では、その殆どが「粘膜」の一部としての粘液層あるいは間接的な考察に留まっており、薬物の腸管吸収を制御する粘液層の分子機構は未だ明らかにされていないのが現状である。したがって、ヒト腸管での薬物の吸収挙動を高精度に評価・予測するためには、粘液層の生理学的性質と薬物吸収との関係性について理解を深める必要があると考えられる。 粘液層は水とmucin、核酸、脂質、DNAなど様々な物質で構成されるが、このmucinと呼ばれる高分子糖タンパク質がゲル様ネットワークを構築することで粘液バリアを形成している5,6)。粘液層が生体外異物に対するバリアとして重要な生理学的役割を担っているにもかかわらず、その主要構成タンパク質であるmucinの薬剤学的および薬物動態学的役割は不明である。 Mucin分子は、ヒトにおいて約20種類が同定されており、腺細胞から産生される分泌型(MUC2、5AC、5B、6)と上皮細胞膜に結合した状態で存在する膜結合型(MUC1、3、4、12、13、16、17)に分類される7)。特に膜結合型mucinは高度に糖鎖修飾された巨大な細胞外ドメインを有し、薬物の腸管吸収性に対し立体障害的または捕捉的に影響を及ぼし得ると想定される。また、粘液層と腸管上皮細胞膜のインターフェースに局在し、粘液層全体の安定化にも寄与していると考えられている8〜10)。さらに、腸管に多くのサブタイプ(MUC1、3A、4、13、17)が存在し7)、分泌型mucinが同程度の分子サイズを有するのに対して、膜結合型mucinはサブタイプ間での分子サイズの差が顕著(最大約10倍)であることから、薬物吸収に与える影響に分子種差が存在することが予想される。しかし、膜結合型mucinと薬物吸収とを関連付ける報告事例は極めて少ない。したがって、薬物吸収と膜結合型mucinの分子種差との関連性を明らかにすることは、腸管吸収を制御する因子の特定に繋がるものと考えられる。 そこで本研究では、消化管に高発現する膜結合型mucin分子(MUC1およびMUC13)に着目し、薬物の吸収制御因子としてのmucinの影響について検討した。実験1. 内因性MUC1ノックアウト極性細胞の樹立および薬物透過性への影響 薬物のヒト腸管における吸収性を予測するための手法として、極性培養細胞を用いた細胞膜透過性評価が一般的であるが、前述のように、mucinの存在を考慮した評価系は未だ存在しない。したがって、極性細胞においてmucinの影響が評価可能となれば、薬物の膜透過性を評価する新たなモデルになると考えられる。 医薬品開発において細胞膜透過性を評価する代表的な極性細胞の一つとして、イヌ腎臓尿細管上皮細胞株Madine-Darby Canine Kidney(MDCK)Ⅱ細胞が汎用されているが、我々の以前の研究において、膜結合型mucinのうちMUC1を内因的に発現していることが示されている。そこで本研究では、CRISPR/Cas9システムを用いたゲノム編集により、機能的なMUC1遺伝子を欠損したMDCKⅡ細胞株を作製し、脂溶性薬物の細胞膜透過に対する内因性MUC1の効果を評価した。実験方法 イヌ腎臓尿細管上皮細胞株MDCKⅡ細胞に対し、MUC1ゲノム染色体(GenBank Accession Number; NC_006589)上の開始コドンの前後で152

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