50年のあゆみ
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協会のご支援により臨床薬理学研究会に海外研修員制度(その後、日本臨床薬理学会海外研修員制度として発展)が発足し、第1回海外研修員として2年間を米国の留学先で過ごしていた時期でした。海外での留学生活が終盤に差し掛かった時期でもあったので、今は亡き中島先生と臨床薬理学の未来について熱く語り合えたことをうれしく思いました。また同時に、わが国内に臨床薬理学の支援のために臨床薬理研究振興財団が設立されたことを共に歓び、強く励まされたことを懐かしく思い出します。その後、臨床薬理研究振興財団がわが国の臨床薬理学領域の研究と人材育成に果たしてきた社会的貢献は、計り知れません。臨床薬理研究振興財団の設立20周年を記念して、臨床薬理学研究者の裾野を広げるため、人材育成を目的とした「臨床薬理学集中講座」を1997年から開講することになりました。臨床薬理学集中講座の第1期(1997年~2001年)が開講されるようになった時期のわが国がどのような状況であったか、時代背景を簡単に振り返っておきたいと思います。1997年に「医薬品の臨床試験の実施の基準に関する省令」(新GCP)が法制化され、それに伴ってわが国内の臨床試験の基盤整備が進みました。医薬品は人類の共有財産であるので、世界規模で同じ基準に従って臨床試験を実施し、データは日米欧の間(つまりは世界規模)で利用できるようにするためです。その背景には、医薬品開発に要する経済的・時間的・人的資源が膨大なものになったので、これを可能な限り節約したいという関係者の共通した思いがありました。1993年にわが国内で起こったソリブジン事件(医薬品発売後1か月以内に十数名の死者が出たという薬物相互作用による前代未聞の事件)を契機として、当時の厚生省(現在の厚生労働省)に「医薬品安全性確保対策検討会」(座長:森 亘)が設置されました。この検討会に私は、臨床薬理学の専門家委員として参加しました。わが国における医薬品の開発から使用に至る(1)治験(2)承認審査および(3)市販後対策の各段階での問題点を2年間にわたって検討し、種々の提言が行われています(最終報告書:「21世紀に向けた医薬品の安全対策の提言」、㈱ミクス発行、1997年)。対策を講ずるべき措置として、治験の基準(GCP)の改正、文書によるインフォームド・コンセントの取得、治験総括医師の廃止などその基本的な方向を提示するとともに、承認審査体制および市販後対策の充実強化のための具体的提言が行われています。次いで、問題点の多かったわが国内の治験のあり方を改善するために、厚生科学研究「適正な治験の実施方法に関する研究班」(班長:中野重行、1995年~1997年)が組まれました。その間1997年に新GCPが法制化され、1998年から本格的実施となったのです。新GCPでは、日米欧三極間におけるICH(International Council for Harmonization of Technical Requirements for Pharmaceuticals for Human Use:医薬品規制調和国際会議)の合意事項(ICH-GCP)、医薬品安全性確保対策検討会と中央薬事審議会GCP特別部会で検討された事項をもとにして、旧GCP時代の治験総括医師制度の廃止と治験依頼者の責任の明確化、治験審査委員会の透明性の確保、文書によるインフォームド・コンセントの実施、治験依頼者によるモニタリングと監査の実施等が新たに盛り込まれました。そのため新GCPに基づく治験は、それまでの治験に比較して、治験を依頼する製薬企業、治験を実施する医療機関のいずれにも、治験の科学性と倫理性の確保のためにより多くの労力が必要になってきました。と同時に、わが国における治験の停滞が懸念される事態が生じていました。そこで、新GCPに基づく治験が円滑に実施できるように支援する目的で、当時の厚生省において、1997年に「新GCP普及定着総合研究班」(班長:中野重行)が設置されました。本研究班は、わが国内の多数の臨床薬理学者をはじめとして、医療機関・日本製薬工業協会・一般市民を含む治験に関与するメ93

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