2008年に日本学術会議が臨床薬理学の重要性・発展を提言自身の体験から治験体制について語る中野氏となる患者が受けることのできる恩恵」をテーマにして、6つの作業班で検討を進めました。臨床薬理学の専門家をはじめ、製薬工業協会、医療機関の医師・薬剤師・看護師、患者団体の代表など42人のメンバーが参加した大きな研究班でした。この研究班で提案した数々の事項が基になって、その後の日本の治験の基盤整備が進みました。臨床薬理学の研究で力を入れてきた点は、先ほども少し触れましたが「薬効に及ぼす非薬物要因の影響」です。なかでも特に、薬効に及ぼす投与タイミングの影響に関する研究で、抗不安薬・抗うつ薬・経口糖尿病薬・点眼用緑内障治療薬などで実施しました。日本臨床薬理学会での活動としては、臨床薬理学の認定医(現:専門医)制度を立ち上げ、「臨床薬理学」のテキストブックを編さんしました。その後、認定CRC制度を立ち上げ、「CRCテキストブック」を編さんして、CRCの育成活動を行いました。〈渡邉〉当時、日本の治験の問題については、2008年に猿田享男先生がまとめ役になって、日本学術会議から「日本における臨床治験の問題点と今後の対策」という提言を出されたと思います。この中で臨床薬理学の重要性、あるいは日本には臨床薬理学講座が少ないという問題点も指摘されていました。他にも、CRC養成の重要性などが指摘されていたと思いますが、中野先生も提言メンバーのお一人でした。先生のご功績として、人材育成、特にCRC育成体制の構築・充実は欠かせません。人材育成は臨床薬理、臨床研究を支える重要な点ですが、この点についてご解説いただけますか。〈中野〉1998年に新GCPが完全実施されましたが、その年から厚生労働省、文部科学省をはじめ、日本看護協会、日本病院薬剤師会が、治験コーディネーター養成研修会を始めました。研修会を始めたころは、まだCRCとは称していませんでした。その後、少し遅れて日本臨床衛生検査技師会も加わりました。私は、早めに各団体で研修を受けたCRCが一緒に話し合うための土俵をつくる必要性を感じ、各団体の責任者の方々に湯布院に集まっていただき、合意を得たうえで、2001年に別府で、私が会議代表を務めて、第1回「CRCと臨床試験のあり方を考える会議(略称:CRCあり方会議)」を開催しました。以後、各団体が毎年交代で会議代表を務めてきました。第1回目の参加者は約800人でしたが、第2回は1,200人、第3回は1,800人、あっという間にその後、抗不安薬をはじめとしていろいろな薬物の作用発現に関与する非薬物要因、例えば生体リズム、ストレス、加齢、摂食条件の影響などですが、それらの影響を人と実験動物で研究しました。新GCPになる前の1993年に、ソリブジン事件が起こりました。ソリブジンの発売後1か月で十数人の患者さんが亡くなるという前代未聞の事件でした。治験段階でも死亡例が出ていましたが、いずれもがん患者だったため、がんによる死亡として片付けられていました。実際には抗がん剤の5-FUとの相互作用が原因でした。これまでの治験のあり方を洗い直す必要があることを強く感じました。その翌年に、当時の厚生省に「医薬品安全性確保対策検討会」が発足し、私は臨床薬理学の専門家として参加を求められました。この検討会では治験のあり方だけでなく、承認審査のあり方、市販後調査のあり方など、医薬品の安全性の確保のあり方について、毎月1回、2年間にわたって議論されました。その頃、国際的にはICH(医薬品規制調和国際会議)の動きがあり、その動向をにらみ日本との違いも踏まえつつ、世界標準を念頭に、何をどう変えなければいけないかということが議論されました。その後、厚生省からの要請を受けて「適正な治験の実施方法に関する研究」の主任研究者を務めました。この時、適正な治験を進めるためには、看護師の方々の協力は必須だと考えていたので、聖路加国際病院看護部長の井部俊子さんに入っていただきました。この研究班では、治験のインフォームド・コンセントの実態を、治験担当医師と被験者として参加した患者のペアを対象にして調査しました。治験で最も重要な「ランダム化」、「二重盲検法」、「プラセボ」などが、説明した担当医師が思うほどには被験者は理解できていないことが明らかになりました。その後、1997年に新GCPが法制化された際に、旧GCPに比べて大きな改定だったこともあり、普及定着のための対策を検討するために「新GCP普及定着総合研究」班が組まれて、私が主任研究者を務めました。「文書同意の行い方」「臨床研究審査委員会」「治験支援スタッフ養成」「品質管理(QC)と品質保証(QA)」「治験事務局の業務」「被験者60座談会
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