自分に向いた“活躍の場”を 得られるのが臨床薬理の魅力のひとつ森下典子 氏でつながりを持たないと、せっかく作ったCRCという職種・業務が広がらないし定着もしないだろうということで、2001年に中野先生が音頭をとってくださって、ここ大分のビーコンプラザを会場に、「第1回CRCと臨床試験のあり方を考える会議」を開催してくださいました。そこで初めて全国から集まったCRCの仲間がポスター発表、シンポジウムなどを介して、会議という名前どおり2日間にわたって現状と将来のことを議論しました。それまで、皆孤独な活動をしていたと思いますが、各施設の取り組みは参考になりましたし、逆に悩みながらも自分が行っていることは自信にもなりました。個人的にはCRCになったからこそ通常の看護師ではできなかったことを、いくつも経験させていただいたと思っています。そのなかで特に記憶に残っているのが、第1回目の会議が開かれた年に、日本製薬工業協会が行った治験普及啓発キャンペーンのCRC代表として選ばれ、参加させていただいたことです。当時は一部の新聞や雑誌で治験に対するネガティブな報道もありました。一方で「治験の意義と仕組みを知ってください」というキャッチコピーを掲載して、国民に対して治験の普及啓発を熱心に取り組んでいた時期でもありました。その頃と現在を比べると、一般の患者さんにも治験は相当浸透し、私たちが臨床の場で治験の話をしても大きな違和感はなくなりつつあります。まだ治験について知らない方もいらっしゃいますが、ご家族や患者さん本人に治験について説明すること自体が、随分と楽になったと感じています。その後、2003年には日本臨床薬理学会が認定CRC制度を作ってくださり、私も過渡的措置として認定を取得しました。それ以降、認定CRCの試験問題を作ったり、面接官として関わらせていただくなど、学会の中でさまざまな役割をいただきながら、仲間を増やすことができました。全国の仲間と親交を深めながらCRCとして進んで来られたことも、すごく良かったなと思っています。また、CRCとして6年目の頃ですが、段々と研究者の気持ちがわかってくるようになり、実際にどんな思いでプロトコールをつくり、データを集めておられるのかを知りたいという気持ちが強くなりました。全くCRCになる時には思いもよらなかったことですが、自分でもプロトコールをつくってみようという思いに至り、滋賀医科大学大学院に進みました。そこでプロトコールをつくり、データを集めることがどれだけたいへんかということが身に染みて分かりました。また、製薬企業の方が研究計画書をどういう思いで作っておられるのかも肌で感じ、CRCとして研究者に真摯に向き合わないといけない、より良いデータを1日も早く医療機関側が提供し、患者さんの元にお薬を届ける義務があると認識を新たにしました。その後、日本臨床薬理学会の海外研修で1週間、オランダ研修に参加させていただきました。日本のなかではCRCとしてがんばってはきましたが、初めて外国のCRCの方とお話しし、日本の良さと物足りなさとを感じることができた貴重な経験でした。以降、ますますこの世界にのめり込んで、さまざまな経験を積ませていただきました。厚生労働省に出向した時は、ちょうど「臨床研究・治験活性化5か年計画2012」を作る年で、現在の臨床研究・治験制度の基盤体制づくりを事務局の一員としてがんばれたかなと思っています。その後、ディオバン事件ではディオバン検討会専門委員として参加し、「CRCと臨床試験のあり方を考える会議」では会議代表なども務めさせていただきました。これまでの活動を振り返ると、CRCやCRC以外にも仲間を増やし、治験や創薬・育薬の支援において、医師だけではなくコメディカルが活動し、貢献できるように仲間とともにがんばってきたというのが、私と臨床薬理学との関わり方だと思っています。〈渡邉〉看護領域における臨床薬理との関わりはいかがでしょう。〈森下〉今、医師のタスク・シフト/シェアを実行するひとつの手段として、国は特定看護師の育成を進めており、2025年度までに10万人を養成することを目標に掲げています。その特定行為研修の中には、臨床薬理学の科目があります。しかし、教えてくださる先生が少なく、講師選定に難渋しています。臨床薬理の先生方が特定行為を学ぶ看護師にもっと近づいて、教えてくださったり、臨床で関わっていただければ、医療職のなり手が少ないなかで、看護師が大きく貢献できるのではないかと思います。〈渡邉〉ありがとうございます。私自身については中野先生、藤村先生のように日本の臨床薬理学の歴史を振り返るという世代ではありませんので、自己紹介の形で、臨床薬理学との関わりについてお話しします。私は1983年に大学を卒業し、循環器内科医を志57
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