50年のあゆみ
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日本の治験・臨床試験の 「質の良さ」を日本の強みにTDMを通じ「薬物治療を個別化」を念頭に臨床薬理の道へ平井みどり 氏に減り、2012年には160人となりました。その原因の1つは特別認定医の更新者が少なかった。2つ目は2000年度以降、受験者数が10人以下と低迷が続いていることです。私が担当していた時に、認定医制度を盛り上げようと日本専門医機構への加入を申請し、機構の方と話し合いを続けましたが、残念ながら未だ加入には至っていません。ところで、専門医が約200人いた2007年頃ですが、専門医の方々がどういう業務に関与しているかを調査しました。約200人の認定医へのアンケートの結果、製薬企業のスポンサーを受けて薬効評価に関与している方が54%と過半数おられ、製薬企業のスポンサーなしで薬効評価に関与している方は41%でした。次に多かったのは薬効評価を行っているグループの方々で、何らかの臨床薬理教育を行っている方も40%でした。この時点で、専門医の先生方は臨床薬理の業務で、ご活躍されていることが分かりました。この調査結果は2008年、英国の臨床薬理学会誌に中野先生と安原先生とともに共著者として公表しております。非常に良い成績でしたので、少しでもわが国の臨床薬理学会のアピールができたのではないかと思っています。〈渡邉〉人数が伸びていないということは課題として今後議論していきたいと思います。中野先生と藤村先生には、臨床薬理学の歴史を振り返りつつ、どうしてご自身が臨床薬理学の領域に興味を持たれたのかについてお話いただきました。次に、平井先生、お願いします。〈平井〉私の場合は、いわば臨床薬理のど真ん中の研究をしていたわけではありません。70年安保の年に京都大学薬学部に入り、その後、神戸大学医学部に入り10年ぐらい勉強しました。その頃には子供がいたため、臨床医は難しいと思い、大学院の薬理学講座で初歩的なクローニングなど、基礎的な研究をしていました。その時に師事した田中千賀子教授から、「まだ子供も小さいし、今から一人前の医者になるには時間もかかるので薬学に行きなさい」とアドバイスをいただき、当時、神戸大学にいらした奥村勝彦先生をご紹介いただき、そのご紹介で京都大学病院薬剤学研究室に就職し、しばらく遺伝子を扱っていました。その頃ちょうど、薬学部でも臨床教育の充実が求められるようになり、神戸薬科大学から薬物治療学や生理学の講義をしてほしいと誘われ、赴任しました。ただ、医学部では診断学や内科治療などの勉強はしましたが、薬物治療学という形で学んだことがなく、薬学生にどう講義をすればよいものかと悩みました。さまざまな本を読みあさり、科学的治療学について書かれた本と出会いました。その本には、病態の性格的、生理学的なことで評価し診断をつけ、それに対して薬物治療法を推測し、患者さんに投与し、実際に効果があるかどうかを検証するということが書かれていました。今にして思えば、その時に初歩的な臨床薬理のことを勉強したのかなと思います。その後、神戸大学病院の薬剤部に戻り、医学部教育にも関わりました。その時に藤村先生がお書きになった本にたいへんお世話になり、相互作用のことも勉強させていただきました。一方、病院では治験に関わり、日本の治験は諸外国に比べ質の良いデータを出していると思っていました。現在は、がん専門病院で仕事をしていますが、今のがん治療は、結局ものすごくお金のかかる治療法が主流です。しかも、売り上げたお金は皆、国外の企業に行っている状態です。日本としてはこれでよいのだろうか。日本で行っている治療は、日本人を豊かにするものでなければいけません。つまり日本独自の創薬が重要で、日本の治験の質の良さを強みに、独自の使い方、薬効評価が確立されるようになってほしいと思います。〈渡邉〉今の平井先生のご意見は私もまったく同感です。日本の治験、臨床試験の質の高さを日本の強みとして世界にアピールできればと思います。もちろん創薬も含めて、日本からエビデンスを発信し、それが世界の医療に貢献し、最終的には日本の利益に還元されることが期待されます。また後ほど詳しくお話いただきたいと思います。次に、家入先生お願いします。〈家入〉私は1996年に臨床薬理研究振興財団賞をいただきました。医療法人相生会の浦江隆次先生や入江伸理事長から推薦いただき受賞させていただきましたが、実は、それまで臨床薬理のことはあまり知りませんでした。その頃私は、遺伝子の仕事はしていたのですが、55

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