21臨床薬理研究振興財団設立50周年おめでとうございます。私が昭和大学医学部を卒業したのが1970年臨床薬理研究会が発足した時期と一致します。卒後昭和大学大学院医学研究科(上條一也教授)に進みモノアミン酸化酵素の基礎研究に励みました。医学博士取得後1975年臨床薬理研究振興財団発足の翌年、米国カンザス大学臨床薬理学 (Prof.Azarnoff,Prof.Dujovne)麻酔学(荒川 霞教授)へ留学しラット単離肝細胞及びヒト肝 Chang細胞を用いた毒性学研究に従事しました。その当時、北大から首籐 勇博士が臨床薬理学研修に来ており浜松医科大学から中島光好教授が海外研修の視察に来られた記憶があります。1980年、日本臨床薬理学会が発足し、その年に第1回世界臨床薬理学会議が Prof.Dollery 会長のもと開催された。1981年、Prof.Azarnoff の門下生である Dr.Bochner らが 執筆した Handbook of Clinical Pharmacology の訳本を坂本浩二教授と出版しました。1982 年英国ロンドン大学 Royal Postgraduate Medical School 臨床薬理学教室(Prof.Dollery)へアボット国際フォロワーシップにより留学し、MAO 阻害と腸管代謝の研究に従事し、また臨床薬理の研究にも参加しました。1983年、酵素薬理学と臨床薬理学をメインテーマに掲げ、昭和大学第二薬理学教室を担当しました。1986年、第1回臨床薬理カンファレンスを富士吉田で開催し、これは臨床薬理学を指向している若手研究者の集まりで中野重行、小口勝司、小林真一、内田英二、大橋京一、景山茂先生が参加され、20回まで続きました。1993年第2回 ICH(医薬品承認審査ハーモナイゼーション国際会議)が米国オーランドで開催され、薬物代謝の人種差(E5)について発表しました。臨床試験データを相互に受け入れるための検討議題の一つであります。この様に留学、研究助成を通じて人との出会い交流が活発にされ研究の成果は医療への貢献に繋がると確信している。この度は貴財団50周年を迎えられ誠におめでとうございます。振り返りますと貴財団の歴史は日本臨床薬理学会と共にありました。1969年に日本臨床薬理学会の前身である「臨床薬理学研究会」が設立された6年後に貴財団は誕生しました。貴財団は同研究会が1980年に「日本臨床薬理学会」に発展的に解消されてからも研究活動と人材育成を陰に日向に支援されました。貴財団の活動は日本が国際的な新薬開発事業で重要な一角を占める日米欧創薬3極体制の確立に多大な貢献をされたと言っても過言ではないでしょう。 私自身は1978年に医師として臨床研修を開始した直後から薬物治療の個別化に興味を持ちました。その後、臨床薬理学者として活動を続け、学会理事及び2015年には第36回の学術総会の会長を務めました。私のキャリア初期において貴財団の研究奨励金制度への挑戦は大きな目標でした。また、貴財団の海外留学助成金はこれまで日本臨床薬理学会の理事・理事長を務められた多くの学会指導者の方々のキャリア形成を支援しました。私は選考委員として関わりましたが、毎年多数の有為な人材から選考する責任を感じつつ人材育成に貢献する貴財団の高邁な思想に感銘を受けました。2016年から貴財団が若手研究者の育成を目的として開始された臨床薬理学集中講座には貴財団への恩返しとして第1回から講師の一員として微力ながら貢献させて頂いております。新規医薬品の開発と効果的で安全な薬物治療の実現は臨床薬理学の目的です。この目的を実現させるためにこれまで貴財団がなされた貢献に感謝すると共に、どうか今後とも末永く日本の臨床薬理学発展のためにご支援を頂くよう願って止みません。安原 一越前 宏俊臨床薬理学の歩みと人との出会い臨床薬理研究振興財団50周年へのお祝い昭和医科大学 名誉教授明治薬科大学 学長1250周年に寄せて50周年に寄せて
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