財団設立50周年を祝して徳洲会古河総合病院 顧問公益財団法人 臨床薬理研究振興財団 顧問海老原 昭夫臨床薬理研究振興財団(以下、財団と略記)設立50周年、誠におめでとうございます。私は早くから、また長期に亘って財団と深く関わってまいりましたので、ことさらこれを嬉しく思います。 財団は第一製薬創立60周年記念事業として、将来の臨床薬理学発展のために、設立されたものであります。この時、財団設立を決意された当時の第一製薬の石黒武雄氏、その他の方々の先見の明に改めて敬意を表します。 私はアメリカのインディアナ大学で臨床薬理学を履修して帰国した後、自治医大に日本で初めての臨床薬理学教室を創設し、ついで学会会長、理事長を歴任し、日本の臨床薬理学の発展のために尽力してまいりました。 それまでに臨床薬理研究会はありましたが、臨床薬理学会が発足したのは昭和55年のことであります。財団はそれよりも5年も前に設立されていたのです。 財団の大きな事業には、研究費の助成と海外留学の助成があります。これにより多くの優れた研究がなされ、また多くの臨床薬理研究者が育ちました。 私は、昭和59年から財団の評議員、ついで理事として、33年の長きに亘って財団の歴史に関わってまいりました。 私は、学会と財団は日本の臨床薬理学発展のために、車の両輪のような役割を果たしてきたものと思っています。 ここに財団の設立50周年を祝し、財団はこれからも日本の臨床薬理学発展のために大きな力になることを期待し、またこれを信ずるものであります。 財団設立50周年に寄せて大分大学 名誉教授中野 重行臨床薬理研究振興財団設立50周年を心よりお祝い申し上げます。財団設立当時およびそれに先立つ十年間ほどの大学キャンパスは、日米安全保障条約闘争、大学紛争、医師のインターン闘争、反戦・反体制運動などで混乱し、医療の世界でもサリドマイド・スモン・クロロキン・大腿四頭筋拘縮症などの薬害事件が相次ぎ、製薬企業への風当たりが強い時代でした。しかし、その一方で、医薬品の有効かつ安全な使用を追求する臨床薬理学の必要性が叫ばれ始めた時期でもありました。 臨床薬理学はまだ黎明期で、研究者の不足に加え、働く場も限られていました。そうした状況の中、1970年に日本臨床薬理学会の前身となる臨床薬理学研究会が設立され、1975年には日本製薬工業協会の支援により海外研修員制度が誕生しました。同年、第一製薬株式会社の創業60周年を記念し、臨床薬理学の研究振興を目的とする資金提供を受け、本財団が設立されました。私は、第一回海外研修員としてスタンフォード大学臨床薬理学部門に留学中でしたが、財団の第1回海外留学等補助金の交付を受けて浜松医科大学薬理学の中島光好教授が米国の臨床薬理学の視察のため訪ねて来られて、財団の設立を知ると同時に、共に歓び、励まされたことを懐かしく思い出します。 この50年にわたり、財団は臨床薬理学の人材育成と研究振興に多大な貢献を果たし、わが国の臨床薬理の発展に大きく寄与してきました。財団の設立と公益財団化は、製薬企業のイメージ向上にもつながりました。若き日の私も本財団からの研究支援を何度も受け、臨床薬理学を専門とする道を歩むことができました。近年は「臨床薬理学集中講座」に携わらせていただいていますが、この50年を振り返り、感謝の気持ちでいっぱいです。本財団のさらなる発展を心よりお祈り申し上げます。50周年に寄せて450周年に寄せて13
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